温故知新

諏訪公園風景 水谷武生
写真提供:辻 俊文氏(辻写真館)

 前に掲載した諏訪公園の写真。
 昭和31年9月4日。北東方向に撮られた。この左に四日市図書館(現在のすわ公園交流館)が建つ。空襲で焼け残った藤の木(正面)は毎年きれいな花を咲かせた。
 公園からアドバルーンを上げることがあったのか。藤棚のところに待機している。
 右に子供が立っているのが出店。この左のもう一軒出ていた。子供相手におばあさんが指先のない軍手をはめて駄菓子を売っていた。幼稚園から帰ると10円もらって日課のようにここへ駆けつけた。

 昭和33年7月24日、諏訪公園の西にあった市民壇。
 今日は暗くなったら映画が始まる。壇上に張られた大きな幕。何の映画だろう?チャンバラか?ニュース映画か?幕の前に子供達は席を取る。やがて集まる大人達に負けないよう特等席を取る。一等席で観るのだ。大人の影で観れなかったら、裏に回ってでも観るのだ。
 市民壇は戦争の名残らしい。でも、僕達には格好の遊び場で、裏の階段から上がって、舞台の中央に立つと世の中が広くなり、自分中心に世界が回っているような気分になった。
 市民壇は、新しく裏に張られた祭りのモザイクと共に現在は南部丘陵公園に移転されている。

 昭和33年7月24日、諏訪公園の北西方向から見る。
 女学生か?恥ずかしそうにカメラの横を過ぎる。カメラがまだ珍しかった当時は、シャッターを押されても文句は言われなかった。「今なら肖像権とか文句をつけられて、なかなか撮れないねえ」と辻さんはおっしゃる。
 右に中野小鳥屋の看板。中野小鳥屋はここから西へ、市民病院(現在のプラトンホテル)の向こうにあった。おじさんが1日中せっせと小鳥の水を替えていた。
 正面に藤棚が見える。戦後の整備が進んでないせいか、随分な荒れようだ。

 昭和33年3月15日、雨の諏訪公園を北東から撮られた写真だ。相合傘のアベックか、と思いきや子供らしい。当時アベックで歩いているとしっかり冷やかされたものだ。藤棚が少し見えている。右方向に市民壇が建っている。
 殺伐とした公園だが、正月や祭りになると屋台が所狭しと並び、大勢の人がひしめいた。
 市民壇の前にはサーカスや見世物小屋、ストリップなどが出た。
 まつりが近づくに従い、組み立てられていくサーカス小屋を見上げて、心ときめかせたものだ。
 そういえば、小さい頃、母親(だったと思う)に負んぶされてストリップを見に行った。なぜ見に行ったのか分からない。背中から舞台で踊る踊り子さんの姿がかすかに記憶に残っている。

 昭和30年5月17日。図書館(現在のすわ公園交流館)東の広場。
 今では、児童公園に整備され、石山が移されたりして、すっかり様子が変わってしまったが、当時は野球が出来るような広場だった。
 自分の記憶ではここにブランコがあったから、まもなく遊具が配置されるのだろう。
 ちょうど左手に自治会の会所があった。ここで祭りにむけての獅子舞の練習があった。こんな狭いところでよく練習が出来たと思うが、獅子頭に頭をぶつけて涙を流した。けれど終わった後でうどんを食べれたりパンをもらったりするのが楽しみだった。
 わたし?舞を教えるお兄さん方が怖くて、3日行ってやめた。「どうしてこないの?」とお誘いを受けたが、家の隅でじっとしていた。